黒澤明監督 日仏 1985 162分 ☆☆☆☆

元ネタであるシェイクスピアの「リア王」については全然知らないが面白かった。

架空の戦国時代。御年七十歳の一文字秀虎はある時見た悪夢をきっかけに隠居を決断し、三本の矢の話をしながら三人の息子達に団結を説く。しかしその後、家督を継いだ長男太郎が正室である「楓の方」に唆され、兄弟達は秀虎も巻き込みながらの抗争状態に入っていく。やがて殺し合い、共倒れする兄弟達。かつて自らの一族を滅ぼされた楓の方はそれを見届け、「一文字家が滅ぶのをこの目で見たかった」とこぼす。

黒澤明の時代劇の中でも特に人の愚かさ、争いを繰り返す事で築かれた栄華の虚しさみたいなものを眼前に突きつけてくる作品。無茶苦茶な人数のエキストラを動員し、更にその全員にきっちり具足を着込ませている合戦シーンなども凄いが、最早老いさらばえた秀虎が息子達の争いを通して過去の自らの所業より復讐され続けるようなそのさま、全編に貼り付く因果応報のヒリヒリとした感触が印象的。

どこまでも城と武者と荒野しか出て来ないまるで生活感のない背景、というかそもそも絶対日本じゃねーだろというロケーションにはやや興醒めさせられたものの、終わってみれば、人の世の栄華の無常、復讐の虚しさをどストレートに見ている側に叩き込んでくるこの不思議な迫力は、やっぱり黒澤作品ならではの風格なのだった。

あと書いておきたいのが、お家騒動を裏で画策していた楓の方を妖気たっぷりに演じていた原田美枝子の美しさ。黒澤映画、特に時代劇の女性ってよく人外風味たっぷりに描かれていて毎回楽しみなのだけど、今作の楓の方も最高。匂い立つような魔と狂気が、あくまでも貴族の女である優雅な所作からあふれ出ている様は別格。

台北ストーリー

台湾巨匠傑作選2020】『台北ストーリー』 – アップリンク吉祥寺

エドワード・ヤン監督 台湾 1985 119分 ☆☆☆☆ 

日本では長らく映画祭などの特殊な場でしか上映されず見ることの出来なかったエドワード・ヤン作品だったが、没後10年となる2017年に初めて劇場公開がなされた。自分は当時そのチラシをどこかで偶然手にとって、その絵面の雰囲気が引っかかったんだった。灰色、それに褪せた青や緑が前面に出た色彩感覚。信頼できる。

80年代半ば。伝統と革新がぶつかりあい日々姿を変えていく都市、台北。幼馴染みカップルのアジンとアリョンを中心とした人々の群像劇。

冒頭のオフィスビルの時点で相当に絵心のある監督だと分かる。全体に物静かで淡々とした映画だが、印象的で力のある画面が多い。

脚本も抽象的にお茶を濁すようなものでなくよく書かれていて、刹那的で乾いた都市の喧噪の中、過去の慣習やしがらみから抜け出す事が出来ず(特に男)、やがてその泥濘に足を取られていく者達の様子が丁寧に描かれている。特にラスト付近の路上に捨てられたテレビにまつわる演出など、普通にグッときてしまった。

しかし本作の真の主人公は何と言っても、色んな角度で魅力的に映し出される仄暗い都市、台北だろう。それぞれの刹那を抱えながら廃ビルのテラスに集う若者達を、向かいにある巨大な富士フイルムの電光看板が影に落とし込むとき、本作の魔術は最高潮を迎える。

アジア都市一流の下世話な喧噪と詩情溢れる静かな絵面が摩擦も無く同時に存在しながら、その全体をフワッとした倦怠感や焦燥が覆っているという、誰もが思い描くものの格好良く実現するのは非常に困難な美意識がここには見事に現出している。湿度や雑然とした生活感に溢れているのに、同時にアンニュイで繊細な雰囲気もむしろ増幅されていくようなこの感じ。本作が世に出た後しばらく経ってから主に欧州でじわじわ再評価されていったという流れも納得の、不思議な刹那と生命力を同時に備えている傑作だった。

都市名を背負ってる映画ってそれだけで自らハードルを高くしていると個人的に思っているが、本作ならば相応しい。

ハウス・オブ・グッチ

映画衣装をチェックして、さらに『ハウス・オブ・グッチ』通に! | Numero TOKYO

リドリー・スコット監督 米 2021 157分 ☆☆☆

有名なグッチ家御曹司殺害事件の映画化。ファッション系の映画は当然画面や衣裳が楽しい事が多いので期待するのだが、本作はあくまで事件の顛末が中心で、邸宅の建築やコロコロ変わるレディー・ガガの衣裳など視覚的に楽しめるところももちろんあるにせよ、鑑賞後の全体的な印象としてはファッションや美術はあくまで副菜の域を出ない。あと人物が終始英語で会話している事も、分かっていた事とはいえやはり興を削ぐ。

70年代のグッチ、御曹司であるマウリツィオは法律家を目指し家業を継ぐ気も無かったが、あるパーティーで野心に燃える女パトリシアと出会った事で運命は大きく動き出す。

こんなに演技もいけるのかと驚いたレディー・ガガをはじめ役者陣は皆頑張っていたし、思いがけず久し振りにアル・パチーノが見られた事も嬉しかった。にも関わらずあまり楽しめなかったのは、上にも書いたように結局事件の顛末が主題の映画なので意外とファッション的に楽しめる場面が少なかったのと、何よりドラマの中心たるパトリツィアにあまり人間的な魅力を感じられなかったのが大きい。

彼女は登場時からして既に野心に燃えており、ラストシーンに至るまでその唯我独尊且つ高慢な姿勢は一貫しているが、それが何だか昔の少年漫画のペラペラの悪役のようで、終始好きになれなかった。悪役や主役が「ペラペラ」であることが必ずしも悪いとは思わないが、割と長尺の本作において彼女も、その相手役であるマウリツィオもどちらも何だか平板な人物に見えてしまって楽しめなかった。ちなみにそういった意味では、アル・パチーノジャレッド・レトの2人が演じたアルドとパオロ親子の方が自分にはよほど魅力的で、彼らが画面に登場すると嬉しかったし、マウリツィオの父親ロドルフォも超イケメンジジイで最高だった。屋敷の庭でアルドと2人で話すシーンのロドルフォの装い。あれが自分的本作ベストファッションだった。

上にも書いたが役者陣は皆頑張っていたので、端的に脚本が自分には合わなかったのかなと思う。もっとも自分は絵づらを気にして映画を観る割合が高く、特にファッションを題材にした映画はそのハードルが高くなってしまうので、やや場違いな観客だったのかもしれない。157分というランタイムの長さから、てっきりビジュアル的に攻めてくれるような場面も結構多いだろうと勝手に期待してしまった。

なお最後に告白すると、劇中あらゆる場面で色んな表情みせるパトリツィア=ガガがなぜか高確率で友近に自動変換されてしまったことも、映画の印象に大きく寄与していることは正直否めない。友近がでた途端、画面のすべてが壮大なコントと化してしまう、、そんなに似ているわけでもないのだけど。

ディナー・イン・アメリカ

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アダム・レマイヤー監督 米 2020 106分 ☆☆☆

冒頭10分を見て、アメリカって最悪だな笑 しかしこの映画は面白そう!と思いましたが、結果は半々といったところ。

これといった目標を持てず、唯一の社会との接点だったペットショップのバイトもクビにされたばかりのナード女子パティの唯一の心の拠り所は、ボーカルが覆面をしているハードコアパンクバンド「サイオプス」だ。ある日彼女は街で出会った若い男サイモンを成り行きで警察から匿うことになるが、実は彼こそがサイオプスのボーカル=ジョンQだった。

とりあえず音楽=ハードコアパンクが肝心な映画だけど、そこがちゃんと格好良かったのはまず素晴らしい。それにヒロイン・パティのファッション、特に最初の星条旗柄のワンピースは最高すぎたし、その他映画冒頭のテロップ演出とかもろもろ、お洒落インディー映画としての需要にはその辺りだけでもとりあえず応えているだろう。あと本作には、現代の若者達の映画なのに、SNSどころかスマホやPC自体が一切出てこない。ヒロインはバンドのライブ告知をチラシで知らせるし、レコーディングのシーンも昔ながらのテープ式みたいなものをガチャコンと回して録る。そういった現代ではもはやリアルとは言い難い趣向も、だけどこの映画にはよく似合っていて違和感はない。

ただ物語はやや凡庸か。冒頭のサイモンの人となりを紹介する一連がインパクトたっぷりすぎて、こんなアウトローとパティは一体どういった展開で関係を築いていくんだ?と興味を引かれるだけに、中盤~ラストにかけての割と普通なラブ展開には少し興ざめしてしまった。一般的な社会のコードにうまく馴染めない2人が出会って色々ありながらも関係を深めていくという王道自体はいいんだけど、上記の通り細部に気の利いた本作だけに、終盤の展開をもう少し捻ってくれていたら個人的にはより好みだったかもしれない。

とはいえアメリカン・インディーなカラフルで楽しい雰囲気にあふれていて、全体的には楽しんだ。調べていて、パティ役のエミリー・スケッグスは撮影当時30歳くらい?劇中では完全に少女だったので驚く。それとラストの方でバンドのライブシーンがあるが、そのライブ及び会場の雰囲気が正にDIYなパンク的雰囲気で雑然としていて非常に良かった。音響なんて悪くてもいいからあんな場所で生のパンクとかヒップホップに触れてみたいと思ったりした。

ブルー・レクイエム

ブルー・レクイエム - 解説・レビュー・評価 | 映画ポップコーン

ニコラ・ブークリエフ監督 仏 2005 95分 ☆☆☆☆

ジェイソン・ステイサム主演でハリウッドリメイクされているがそっちを先に知っり、面白そうだったのでオリジナルのこちらを観賞。やっぱりオリジナルの方が面白い場合が多いので、、、。

現金輸送の警備会社に新参のアレックスが入社してくる。特に特徴のない中年男だが、彼にはある目的があった。

ジャンルを言うならアクション・サスペンスというところだろうか。いかにもフランス映画らしい大人な演出で、クールな質感。日常パートとアクション時でテンポや温度感にあまり差がなく、だけどだからこそ、アクションシーンの緊張感や主人公のやるせなさが如実に伝わってくる。

物語は特にひねりもなくストレートなものだが、段々と明らかになってくる主人公の事情や目的が少しずつ自然に飲み込めるような脚本は、全体に押し付けがましさのない感じが却って主人公への感情移入を促進させる、さりげなくも上手いつくり。また一見削っても問題ないようなホテル係員とのサブエピソードや皆で射撃を練習するようなサブシーンが、実は短いランタイムの中で映画全体の奥行きに大きく貢献していると思う。

全体にちゃんと観客を信用しているというか、このくらいで十分伝わるでしょと言わんばかりの無駄の無い作りに少しばかりの効果的な遊びも配した、エンタメと文学味のバランス感覚に優れた良作。

短い時間で気軽に楽しめる、大人な雰囲気のフレンチ・サスペンスとして十分な良作。そしてこの主人公、如何にもステイサムが似合いそう! なので米版もそのうち見てみたいと思う。

ちなみに、あんな雰囲気が良いとは言い難い職場でもクリスマスには事務所でクラブミュージックを掛けて、老若男女みんなでダンスをしているシーンに一番フランスを感じた。欧米は流石、パーティ文化の浸透、成熟度が違うのだと改めて実感。

火の山のマリア

映画『火の山のマリア』(ネタバレ)──人の業や愛はどこに生きる人間でもだいたい同じ | 三崎町三丁目通信

ハイロ・ブスタマンテ監督 グアテマラ・フランス 2015 93分 ☆☆☆☆

当時、アカデミーの外国語映画賞に初めてノミネートされたグアテマラ映画ということで話題になっていた。その流れで日本にも入ってきたのだろう。画面にはえる顔立ちをしたヒロインの、腰まである豊かな黒髪が特に印象的。

今も古くからの因習が色濃く残る山間の農村に暮らす17歳のマリアは地主の息子との結婚が決まっているが、別の男=アメリカ行きを夢見る青年ペペの子供を身ごもってしまう。

少女が生まれ落ちた場所の伝統や因習から抜け出そうともがいてみたものの果たせず、結局今まで通りの流れに戻るがそこには以前とは違う空虚な諦念が出現していた、というような物語に自分には思えた。結構きつい。

冒頭に豚の交尾を見つめるマリアの横顔をじっくり映す場面があるが、ずっと同じ場所で同じ営為を繰り返していくだけの生に対する彼女の違和感が、この横顔一つでひしひしと伝わってくる。またマリアの村のすぐ傍には信仰の対象でもある巨大火山が聳えているが、想像もつかないその火山の向こうには何があるかと問うたとき、若き青年ペペはアメリカと答え、しかしマリアの母親は「冷たいよ」とだけ答える。母にとって火山の向こうなど存在していないも同然であり、またそれを疑問に思うこともないのだ。

しかし勿論、想像力や知識をもって今いる「世界」の外側を感じることが必ずしも幸福とイコールなわけではない。ただこの事自体もある程度、自分たちの立場や境遇を俯瞰することのできる社会に生まれた人間だからこそ知覚や納得ができることであって、閉塞した状況の中で何となく「外」もあるという概念だけを与えられ、しかし「内」に留まり続けるマリアにとって、謂わば日々の暮らしの底にうっすらと巨大な疑いを飼い続けながら生きるという、これが孤独や虚無でなくて何だろう。

ラストシーン。何事もなかったかのように再度結婚のための華やかな衣装を着せられ、顔にベールを掛けられるマリアの表情にはどうしようもなくその虚ろが貼り付いているように自分には思えた。

でもだけど、じゃあ仮にペペと一緒に駆け落ちを成功させアメリカに渡っていればハッピーエンドだったかと言えば、勿論そんな単純だとも思えない。

たまたま自分の生まれた時代や状況に疑問を抱ける聡明さゆえに、彼女が引き受けざるを得なかったもの。巨大な火山はもはや神ではなく、ただ太古から横たわる巨大な残骸に過ぎないと知ってしまった後も、彼女の祈りは続くのだろうか。

百年恋歌

真紅のthinkingdays 三個年代、三種時光、三段情縁~『百年恋歌』

侯孝賢ホウ・シャオシェン)監督 台湾 2005 139分(三部合計) ☆☆☆☆

エドワード・ヤンつながりで知ったホウ・シャオシェン。全編、言葉少なで静かな画面が美しい。特に二部の衣裳とインテリアは白眉。

1966年、1911年、2005年とそれぞれ違う時代を舞台にした三部構成で、主人公の男女は同じ役者が演じるが、各時代の主人公が血縁だとか、状況や関係がどこかでリンクしているとかいったせこい仕掛けはない。第一部のビリヤード場の男女は一番ノーマルな映画らしい作りで、二部の娼妓と革命家はセリフ無しのサイレント劇、三部は現代の都会が舞台で塚本晋也作品のような、やや硬質で虚無的な画面にとがった編集も際立つクールな質感。

全篇に通底する美意識もありながら、各部独自の見映えがちゃんと意識して振り分けられており、しかもそのどれもが中途半端な印象を受けないことに驚く。色んな作風をきちんと自分のものにしているというか、かなり器用な監督なのだと思う。脚本はどれも特に起伏のあるものではないが全体的に喪失、哀しみの予感が静かに満ちているテイストで、そのゆったり、淡々とした起伏のなさが雰囲気のある画面によく似合っている。(第一部はもう少しハッピーな感じかも)。

あと特に書いておきたいのが三部にて、ヒロインがボーカルを務めているバンドの曲がライブシーンやその他のBGMとしても効果的に使われているが、この曲がアシッドフォークとローファイポストパンクの融合みたいな気怠く安っぽいサイケソングで、映画の流れ関係なくとも非常にかっこいい曲。少し話が逸れるが、映画の中でオリジナルのバンドや演奏が登場してそれが格好良いという場合って王道ロックバンドスタイルやアコギ弾き語り、あるいは渋いブルースやジャズバンドなんかのオーセンティックサウンドであることが多いので、このようなジャンルの曲でちゃんと格好良く、且つ劇中で有機的に機能しているのは珍しいような気がする。(もしかしたら自分が知らないだけで既存の曲なのかもしれないが)

というわけで、全体的にツボな作品で素晴らしかった。一部45分ほどの三部制で、分けて見やすいのも良い。