ニーチェの馬

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タル・ベーラ監督 ハンガリー 2011 ☆☆☆☆

世界の突端で終わりを見つめているよう。タルコフスキーサクリファイスなんかと似た雰囲気を想像していたが、もっと野蛮でどう猛な気配が終始漂う。

四六時中強風が吹き付ける原野のど真ん中に佇む小さな家、そこで暮らす父娘と老いた馬。毎日馬車に乗り町に出かける強権的な父と家事全般をこなす娘の言葉もほとんど無い単調な日々は、ある時馬が動かなくなった時から徐々に変化を来していく。

絵画のように美しいモノクロ画面で限りなく普通なような、でも滅茶苦茶に異常なようにも見える親娘の日常。その繰り返しが淡々と描かれる。馬の世話、水くみ、娘は父親を着替えさせてジャガイモを二つ茹でる。交わす言葉もごく少ない小さな生活。これを延々見せるだけの画面が続くが構図の美しさによる力強さ、また「終わり」の予感からくる緊張感が常に画面に貼り付いており、驚くほど退屈しない。

この手の映画にしてはキリスト教的な神の影が薄いのも取っつきやすい。本作でもやはり援用はされるものの印象としては小道具の一つに過ぎず、神も含めたあらゆる既存の解釈を遠ざけた上であらためて、人間一人ひとりの体重と世界全体を天秤に掛けるような野性味溢れる眼差し、より泥臭い根源的な叫びを本作からは感じる。

特に作中に何度かある印象的な場面、風吹きすさぶ戸外に出て行く二人を背面から追いかけるショットはそのワイルドさを端的に象徴していて非常に格好良く、世界の全部とひと一人の存在が同じ重さで拮抗している有り様が映像で端的に表現されているようで、震える。画面の中での人物の大きさやスピード感が絶妙で、いつか自分もあのように歩いてみたいものだ、、などと思わされる見事な後ろ姿。バケツ持って井戸まで歩いているだけなんだけど。

「一日目」から「五日目」までの章立てになっているので複数回に分けてみる事もしやすく、タイトルからも絵面からも哲学的で難解な印象を抱きがちだけど、意外にとっつきやすい一作だと思う。ただ、とはいえ理解や共感をベースに楽しむ事はやはり難しいと思うが(共感はギリいけるかな?)、おっさんが茹でたてホヤホヤの湯気が出ているジャガイモを熱がりながら手づかみで皮むいて食べようとする指先が見たいような人や、また映画内ファッションも意外とおすすめ。この親子の衣裳、二人とも良いのだけど、特に親父のシャツやコートのサイズ感などかなりのおしゃれさんだと思う。あとは馬のデカさ。黒王号。

そして何より、日々この球状天体で暮らしながら、なお世界の果てをどこかに探し求めているような人々には必見の一作。

タル・ベーラ監督もハンガリー映画も初見だったけど、素晴らしかった。