アマンダと僕

映画『アマンダと僕』公式サイト

ミハエル・ハース監督 フランス 2018 ☆☆☆

粗筋は何となく知っていたがテロがらみの作品だとは思っていなかったので、思った以上に社会派な鑑賞となった。ところで忘れないうちに最初に書いておくが、ヒロイン・レナ役を演じているステイシー・マーティンという女優さん、恐ろしいほどのフランス美女で登場した時眩暈がした。彼女を見ているだけでAPCとかアニエスが着たくなってくる。

パリで不動産関係の仕事をしながら気楽に生きている若者ダヴィッドは、シングルマザーである姉とその幼い娘アマンダと仲が良く、毎日のように互いの家を行き来している。仕事を介して出会ったレナという恋人もできて楽しい生活を送っていたが、あるとき白昼の公園で起きた無差別テロに巻き込まれ、姉は死亡、ピアノ教師であるレナは利き腕に重傷を負ってしまう。失意の中、残されたアマンダとダヴィッドの共同生活が始まる。

以下ネタバレがあります

観る前はてっきり姉は事故かなんかで死ぬ、普遍的な喪失についてのお話かと思っていたが、テロだった。フランスは近年クラブで乱射事件が起きたり、祭の人混みにトラックが突っ込んだりしているが、つまりこの映画はそういうところも引き受けて作られているという事で、見方が変わった。

ただその上でその後の展開がやや気になった。やり場のない悲しみと絶望感に包まれた二人がお互いに不器用に歩み寄りながらやがて新しい家族となっていく姿こそ丁寧に描写されているものの、テロに対する憎しみや怒りの成分は少ない。だけどテロを題材に選ぶのであれば、それが天災や偶然の事故によってではない、誰かが誰かを傷つけてやろうという明確な意志であるという事に対し、作中にて何等かの形でもっと言及してほしかった。そうそこに特に返答をしないのであれば、姉の死因は病気とか事故でもよかったように思ってしまう。

ついでに言うなら逆境を跳ね返すテニス選手の活躍によってアマンダが笑顔を取り戻すというラストもやや陳腐だと感じた。自分が脚本家ならあそこでテニス選手はやっぱり負けてしまう。でもそこでダヴィッドが何かをする、そういうラストにしただろう。もっともその「何か」が難しいのは、それは分かるけれども。

あくまでも淡々とした日常生活のレベルから逸脱することなく、恐ろしい事件と、それにより損なわれてしまった者達のその後を丁寧に描く事には成功している。ただ上記したとおり扱っている事柄に関して終始上品過ぎる&ラストもステレオタイプなきれい事の範囲を良くも悪くも逸脱しておらず、物足りなさが自分にはあった。ただこのセンシティブなテーマにあくまでも一般的な生活者の目線で真正面から挑んでいる、良質な作品であったことは間違いない。