プロミシング・ヤング・ウーマン

『プロミシング・ヤング・ウーマン』衝撃的ドラマにポップなムードと深い意味を与える、音楽の上級チョイス

エメラルド・フェネル監督 米 2021 113分 ☆☆☆☆

新人の監督兼脚本家がアカデミーで脚本賞を取ったという事で見始めたが、評判通りデビュー作としては異例の完成度を誇る、そしてなかなかにハードな作品。いかにもポップでキャッチーな枠組みの中に極めてシリアスな問題が複数仕込まれており、所謂「重たい映画を観る」というのとはまた違って、感心しながらも結構しんどい観賞だった。しかしキャリー・マリガン、随分大人になったものだ、、と思ったらもうアラフォーか。いつまでも「私を離さないで」の可憐な少女のイメージを引きずっていたが、この映画により最早過去となった。外では基本やさぐれた女風で過ごしているが、実家にいる時は30超えても可愛い娘風で通しているという複雑な役どころを見事にこなしていた。どっちも~風なのがポイント。

医大生のカサンドラ=キャシーは今年30だが未だに親元で暮らし、昼間はカフェでバイトしている。しかし夜になると一変、クラブで潰れたふりをして寄ってきた男共に制裁を加えることを習慣としており、それには過去のある事件が関係していた。

※以下ネタバレを含みます※

日本版のキャッチコピーには「復讐エンターテイメント」「キャシーの怒りは限界突破」とかカジュアルな雰囲気が溢れていて、事実ビジュアルとか音楽とか演出とかそういった雰囲気も分かるけど、自分は本作に仕込まれた幾つかのテーマのうちの一つ、罪悪感まじりの過去からいつまでも脱け出せない主人公という点に特に同調してしまって、とてもそんなカジュアルな作品と受け取れない、重たい鑑賞となってしまった。

キャシーの親友にして幼馴染みのニーナは学生時代にレイプされ、それを告発しようとした行為も脅迫や無視をされ続けるという失意の内に自死を選んだ。関わった誰もが最早なかったことにしつつある10年前のこの事件にキャシーだけが今も囚われ、犯人や自分自身への怒りを燃やし続けている。それはかつての同級生や学校関係者達が「若気の至り」や「あんなことはしょっちゅうあった」という体で自分を納得させ、世間によくある皆やっていること=だから自分も悪くないという論法で事件を忘却しつつあるのはもちろん、久し振りに会いに行ったニーナの母親さえ思い出を語るキャシーに「前に進むのよ」との言葉を残し、立ち去る。しかし悽惨な過去の思い出から脱出したいと一番に思っているのはそれこそキャシー本人であり、だからこそ中盤、彼女はなけなしの勇気とやる気を振り絞って再会したかつての同級生ライアンからのアプローチに応え、交際にまで踏み込んだのだ。

しかし本作脚本は、このキャシーの気持ちに最悪の形で応える。おそらく現在のダラダラしたキャシーの生活には、かつての親友を自死にまで追いやってしまった自分への罪悪感=ある種の自傷行為のような側面もあったのだと思う(身近な人間を自死でなくした人間がその事に強い責任感を背負い込んでしまうのはあるあるだ)。10年という時間と偶然の再会を経てようやくそれらを振り切り、やっとここから全てが変わっていくのだと思えた矢先、唐突にやってくるのがあの「動画」だ。しかもあれが回ってくるのはキャシー本人がかつての同級生マディソンに事件にからめて連絡を取っていたからであり、つまり必然ともいえるのだ。本作脚本は全体にややコミカルで極端なイメージを保ちつつも、この辺りの細かいところでは絶妙な形、タイミングでキャシーを突き落とす事に長けており、自分はその丁寧さに感心しながらも、結構うんざりしてしまった。実に無理のない展開だからこそ、より絶望的で。

ライアンというやっと見えた希望の崖からも最悪の形で突き落とされた後、最後の復讐の舞台となるバチェラーパーティの山小屋に一人向かう時のキャシーはどんな気持ちだったのだろう。全てを周到に用意した上で、全ての男を、世界を、何より直前までライアンと浮かれていた自分自身をもあざ笑うような、そんなあまりにも寂しい怪物を想像して、なんともやりきれない。

ちなみにその後の展開。キャシーが窒息死される事や、ウエディングパーティ中に送信予約メールが届いて警察が来て云々のくだりはいかにもな娯楽映画的装飾にしか思えなかったので特に感想なし。本作をダークでポップでややシリアスな復讐エンタメとして楽しめる人はあるいはあの辺りに爽快感を感じるのかもしれないが、自分は到底そんな気分にもなれなかった。

多くの人が本作をよく出来た展開のエンタメ復讐譚、あるいは主に性的な側面における男女の格差についてポップな画面で真摯に描いた力強い問題提起として受容、評価したのだと思うが、上記の通り自分はただただ終始過去に囚われ続ける主人公キャシーに同調するあまりほぼそのような視点からのみ見てしまい、それ以外の側面を十分に感受する余裕がなかったのが正直なところ。この文章を書いている間も、最後の山小屋に向かうキャシーの後ろ姿が頭の中をぐるぐる回るばかりで非常にやるせなかった。

全然好きではない、ただ力のある作品として評価せざるを得ない。そんな作品。こんな重たい感想を引きずる羽目になるとは、観る前は思いも寄らなかった。