宵闇真珠

宵闇真珠 - 写真5クリストファー・ドイル監督 香港・マレーシア・日本 2018 ☆☆☆☆

ウォン・カーウェイのカメラマンで有名なドイルが初めて自分で監督したもの。期待通りの映像!作品で、一本の映画として完成度が高いとは決して言えないが、自分の嗜好には非常に刺さった。

香港の外れ、萎びた漁村で父親と二人暮らしをしている白い肌の少女。彼女は日光に当たる事の許されない病気で、学校でも疎まれ、夜に海辺の洞窟にこっそり出かけて一人で歌う事だけが楽しみだった。ある時、ふらっと村に流れてきた異国の男が、そこに居合わす。彼は丘の上にある廃屋同然の「幽霊屋敷」に一人で住み始めたところだった。

開発され失われつつある香港の素朴な原風景を舞台に、似たような虚ろを抱えた男女が出会い、やがて離れていく。全く陳腐でありがちな話だが、全体に暗い灰青緑の色彩で統一された映像がひたすら美しく、また物語もあまり社会性やメロドラマを前面に押し出すものでない淡々としたトーン、ゆっくりした流れで、その味付けの薄さがドイルの映像を堪能するのに最適なリズム感、抑揚で非常に良かった。

オダギリジョーは当時40過ぎか。若々しいとはいかないがやや草臥れたような佇まいが話にもあっていて格好良いし、彼が住んでいる屋敷の廃墟っぷりもまあ美しい。そして白眉は何と言っても主演の少女=アンジェラ・ウォンが画面にいる時の画力。全編にわたって彼女を観るための映画。丁度、子供でも大人でも天使でも悪魔でも無垢でも淫靡でも、どれでもあるようなないような境目にいる感じ。特に終盤の、壁に像を映す白い光の中に彼女が立っているシーンは、何かが溢れてどんどん増幅しまくっているのに何の音もしていないみたいな緊張感すらあって、相当印象に残った。美しかった。

女性を綺麗に撮っている映画なんて山ほどあるし自分はどれも好きだけど、観ていてあのように張り詰める感覚を覚えるまでは、あまりない。そしてなぜだか、映画全体としてはあんまりしっかりしていないものの方が、あの手のシーンって出会う確率が高い気がする。

ちゃんとした映画が観たい人にはとてもお勧めとは言えないが、この色彩、映像に反応する人には是非観て欲しい。

何となく10年後、ブルーレイがプレ値になっていそうな気がする、、

海底47m

海底47m||洋画専門チャンネル ザ・シネマ

ヨハネス・ロバーツ監督 2017 イギリス ☆☆☆☆

夏に向けてサメ映画補給。最近これの2が公開されるという報があって、そこから本作の存在を知る。90分という気軽なランタイムやよし。

メキシコ旅行中の大人しい姉リサと活発な性格の妹ケイト姉妹は、知り合った地元の青年達の誘いで巨大なサメを間近で観察できるケージダイビングに参加する。しかし二人が海に入った所でロープが切れ、二人はケージに入ったまま47m下の海底に落下していく。

観る前はもっとB級ノリかとおもっていたが意外と全編丁寧に作られていて、ラストやそこに至る伏線なんかも含めてしっかり構成されている。ただサメ映画を期待して観た場合奴らはそんなに目立っておらず、どちらかというと限られた時間の中で酸素不足や通信環境の不備などと闘う海洋パニックの趣が強い。

そして何より、しっかりした作品であるが故に自分が期待していたバカっぽいノリ、エログロ要素はほぼ皆無な真面目な作品で、何となくイギリスが作ったサメ映画という感じがすごくした。その辺期待するならやはり「ピラニア」でも見るべきなんだろう。

なのでピラニアを観た。でも本作は面白いし、しっかり怖かった。

江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間

江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』石井輝男 : Mine has been a life of much shame.

石井輝男監督 1969 日本 ☆☆☆☆

石井輝男と言えば一番有名なのはこれだろうか。乱歩はほとんど数編しかまともに読んでないので自分では元ネタが分からなかったが(とってつけたような「人間椅子」オマージュだけは笑ってしまったが)、ウィキによると「孤島の鬼」の要素をベースに「パノラマ島奇譚」など他作品の要素も織り交ぜたものになっているらしい。

記憶をなくしている主人公=広介はなぜか精神病院に入れられていたが脱走し、街で懐かしい子守歌を歌う少女と出会う。が、突然少女は殺され、その犯人にされてしまう。逃亡する広介だがその途上、偶然新聞で裏日本の金持ちが死んだとの記事を見かける。彼は自分に瓜二つだった。早速その場に向かって成り済ましを試みるが、色々とボロが出そうになる。しかもそうこうしている内に金持ちの妻が殺される事件が起き、その解決のため沖合の島に自分の理想郷を築いているという「父」に会うべく、広介と他数名は島に向かう。

後半、島に渡ってからはなかば土方巽及び暗黒舞踏塾の紹介動画と化す本作だが、陰惨淫靡の大家である乱歩要素をこれだけふんだんに使っても、やっぱり石井輝男の手つきはヘルシーで、陽気なカオスに収斂していくという印象。良くも悪くもシリアスになりきらない、なんだかポップな後味が尾を引くのがこの監督の不思議な持ち味であると改めて感じる。

石井輝男って、もしかして凄く自覚的に醒めている人なのかもしれない。昔の映画って製作時の当人達は大まじめにやっていて、それが今の感覚でみるとどうしても笑ってしまう(もちろん嘲笑とは違う)っていうのが多いのだけれど、石井監督はどうも分かっていながらあえて脱臼させているような雰囲気を感じる。

そしてもしもこんなものを、醒めながら自覚的に作っていたのだとしたらそれこそ本物の天才且つ狂人である。有名なラストシーン、「おかあさーん」の叫びを聞きながらそんな事を考えていた。

ちょっと余りに暗黒舞踏の印象が強すぎるので映画として評価しづらいけど、噂通り見応えのある作品で素晴らしかったのは間違いない。島で一行が乗り込む船、その舳先で仰向けになりながら天秤状の松明を回し照明?と化している金粉の女性を見出すとき、見る者は既に試されている。。そんな一作。意外とヒール履いてるのがポイントです。

ブルジョワジーの秘かな愉しみ

Book Review We Have Never Been Middle Class by Hadas Weiss | Morning Star

ルイス・ブニュエル監督 1972 フランス ☆☆☆☆

先日シンエヴァで話題の庵野秀明のドキュメンタリーを見ていたら、何故この撮影を受けたのかとの問いに、今の時代はミステリアスである事をよしとしない人達が増えたので姿をちゃんと見せた方がいいと思った、というような事を言っていた。SNSで私生活を上手に切り売りして名を売り、それがインフルエンサーなんて持てはやされる時代には、もはや楽屋裏の神秘性とかシュールな不条理劇なんてダサいかっこつけにしか見えないのかもしれない。

ブニュエル作品鑑賞は「皆殺しの天使」に次いで二作目、本作もシュルレアリスティックなコメディで、またしてもブルジョワが停滞している。

三組のブルジョワ夫妻が主人公で、彼らが色んなところで飯を食おうとするがどこでもとにかく邪魔が入り、結局食えない。あらすじと言えばそれだけ。また彼らの内には仲間内で浮気をしている者たちがいる。またなぜか皆で着いた食卓が実は大勢の観衆が待ち受ける劇場の舞台である。また怪談話で盛り上がった後突如投獄され牢屋の外の廊下を鍵束を持ってうろつくのは、看守ではなく先ほど話題にしていた幽霊だったりする。

終始何もかもが理に落ちていかないが、不思議ととっ散らかった印象はなく、見終えた後に残るのはむしろ整然とした印象。全体としては資産家階級への社会風刺になっているのは間違いないと思うが、そのような感想を抱く非資産家階級の凡庸な観客こそ、監督が本当に狙い撃ちしている対象のようにも思えるし、そもそも、全てが行き当たりばったりの適当な様な気もする。

だけどなんだっていい。何もかもが分かりやすく理に落ちていく事がよしとされる時代に、たまにはこの様な非合理性が気持ち良いし、落ち着く。

そして一見荒唐無稽な様で、だけどリアルな我々の現実、人生にどちらが近いと言えば、やっぱり今作のようなものだろうと思う。

我々は皆、訳もわからず気付いたら存在しており、食事をしたり恋愛をしたりしながら数々の意味があるのかないのかよくわからない場面を経て、やがてほとんどの場合なりゆきに任せた、それぞれの終わりを迎える。そういった実際生きることのカオスを本作の様な作品こそ、乾燥したシリアス、あるいはヒューマニティー的な湿度に一切阿ることなく、フラット且つ軽妙に内包できているのではないか、、、と思ったりもするが、とはいえそれも結局はわからない。やっぱり適当なのか?ブニュエル

全く「あちら」には転げていかないように、ギリギリの所で絶妙なバランスを保っている。場面場面はシュール過ぎて何だか恐ろしいのだけど、後から思い返すと全体としては何だか可愛い印象すらある。今回もそんな印象。

マリエンバートにも出ていたデルフィーヌ・セイリグ、綺麗だった。

 

星空

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トム・リン監督 台湾 2011 ☆☆☆☆

world's end girlfriendがサントラを担当していて、そこから知った作品。

特に「Storytelling」という曲があって、本作映像を使用したMVも作られているのだけど、これがMVとして素晴らしいだけでなく、観るだけで映画全体の内容も何となく分かるという優れもの。で、必然的に映画本体もずっと気になっていた。ただ当時は日本公開の目処がたっておらず、結局日本での公開は2018年まで待った。

裕福だが両親が喧嘩ばかりしている家庭の少女シンメイのクラスに、スケッチブックを抱えた影のある少年ユージエが転入してくる。孤独を感じていた二人はお互いに共鳴するものを見出し、交流を深めていく。やがてあるきっかけから、シンメイが祖父と以前暮らしていた山奥の家に向かって、家出同然の二人旅が始まる。

久し振りのド直球ボーイミーツガールにクラクラして若干死にたくなったけど、作品はとにかく素敵でした。まだそれほど男女が分かたれていない青い時代。同じような価値観と、心の傷を持つ美少女との出会い、そしてつかの間の逃避行。自分が少年だった頃、妹の少女漫画など盗み読みつつ秘かに憧れた世界の全てが詰まっていた。。

普通なら鼻白んでしまいそうなくらいコテコテな物語をそれでも素直に感動しつつ受け入れられたのは、撮り方や色合い、美術や衣裳(特にシンメイの衣裳や部屋の装飾は相当キュート)まで含めて映画全体を丁度良い塩梅のファンタジックな手触りで包むことにより、本作は逆説的に、現実とよく馴染んでいるように思う。実写だからと妙にリアルにしようとせず、あくまでも童話的な雰囲気を優先し、崩さないことを大事にしているというか。あと、たまに出てくるCG演出がこれまた絶妙にやり過ぎない具合で、個人的にこの手の雰囲気でCGを実写と混ぜてるものにはあんまり良いイメージが無かったけど、本作ではとても効果的だった。

そして何と言っても主演の二人。一人ひとりでも可愛いんだけど、二人でいる時のバランスが絶妙すぎて悶絶。これくらいの年頃独特の、並ぶと女の子の方が少しだけ大きいあの感じ。。眩しすぎて目も胸も潰れそうだったがなんとか耐えた。

 

久々に真っ直ぐなBMGを観たいという人には相当おすすめ。ただこれ、同年代の少年少女にはどうなんだろう。全体にノスタルジックな色合いが強いので、以外と30以上くらいの方が反応する作品かもしれない。

 


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サッドティー

サッドティー : 作品情報 - 映画.com

今泉力哉監督 2014 日本 ☆☆☆

双方の女性了承済みで二股を掛けてる新米映画監督を中心にした、実は狭い関係の中で色んな矢印が飛び交っているという恋愛群像劇。音楽はトリプルファイアー。よく出来た可愛い映画。面白かった。

ウディ・アレンとかホン・サンスに通じる落ち着いたテンポで各場面をたっぷり描いているものの、全体的な話の流れとしては割とサクサク進むため飽きさせない。また群像劇なので登場人物が多くてそれぞれの立場や関係がややこしくて、しかも殆ど無名の役者ばかりなので人物の印象が残りづらいにも関わらず、その辺りの複雑な関係図がスラスラと理解できるつくりになっていて、この辺りは脚本や編集のセンスを感じさせる。所々に出てくる笑いのセンスや塩梅なども丁度良い。

「ちゃんと好き、という事について考える」というお題目だが、お話自体は男女のいざこざやすれ違いがリアルでハードな雰囲気で描かれるわけではなく、全体的に男に甘い、フワフワとしたいくらかファンタジックな内容。なので現実的に身につまされるような感覚は少ないが、それも全体にゆったり間延びしたような本作の雰囲気とほどよくマッチしている。

この手の映画はこちらの精神状態や状況問わず、割といついかなる時でも見やすい。そういう意味で、とっても優しい映画。胃に優しい感じ。

そして青柳文子はlicaxxxによく似ている。アソビシステムの趣味の分かりやすさよ。

ある船頭の話

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オダギリ・ジョー監督 2019 日本 ☆☆☆

先日観た「宵闇真珠」がよかったのでノリで観賞。宵闇真珠で監督をしていたクリストファー・ドイルが撮影の合間主演のオダジョーに向かって「ジョーは映画を撮らないのか?撮るなら協力する」と言って本作は始まったという。ロケ地は主に新潟だったらしいけど、ドイルのカメラによって山間の何でもない岩場や川辺とそこを日々往復する孤独な船頭の姿、ゴツゴツとした岩場がとんでもなく魅力的に撮られている。ついでに衣裳はワダエミさん。

クリストファー・ドイルと言えばアジアっぽい、都会の雑然とした部分を魅力的に撮るというイメージだったけど、水面に反射する光や風にざわめく山間の木々といった自然の光も見事に彼らしく収めていた。いつも思うけど、何が違うんだろう。キラキラしているんだけどシックな落ち着きもある。監督や脚本との相性もあるんだろうけど、ドイルが撮ればいつでもこの感じになっているとも、間違いなく言える。不思議だ。

以下ネタバレ在り

で、肝心の本作脚本については、(オダジョーの役者ネットワークがフルに感じられる)豪華な出演陣に比して残念ながらやや低調。孤独な老船頭と新しく建造されつつある橋の対比を軸に、結構な長尺で色々と思わせぶりなフリをきかせている序~中盤まではドイルの画の力もあって非常に期待できたものの、それを拾っていく後半の展開はステレオタイプでよくある理におちたもので、それだけならまだしも、小屋を燃やして少女と共に逃避行にでるラストは最悪だと自分は思ってしまった。

このミニマルで閉じた世界の中で、孤独な船頭の姿、その達観も業も丁寧に描いて振りにふっているだけに、それがどんなものであっても、最後は船頭が終わりゆく自分の世界、置き去りにされつつある時代=自分自身に対してきっちり落とし前をつける所がみたかった。それがまさかあんなありがちな展開から、二人で逃げ出すように船を漕いでいく、あんな曖昧且つ消極的な場面でエンドロールなんて。

脚本の意としては、結局時代の変わり目なんてあんな感じでコソコソと、逃げ出すように変わっていくもんだという現実志向をこの寓話の最後に据える事で物語世界のバランスをとろうとしたのかもしれないけど、だとしたら端的に失敗だと思う。あんなちんけなリアリズムに最後もっていかれるくらいならもっと別方向に突き抜けて欲しかったし、ドイルのカメラに柄本明ならそれが出来た。いや出来たどころか、むしろ相応しいだろう。中盤から終盤にかけて、いつ船頭のそれが爆発するのだろうかとずっと期待していたし(無論必ずしも暴力や殺戮にいってほしかったわけでもない)、むしろそれっぽいフリも劇中には沢山あったからこそ、この肩すかしにはがっかりだった。

と、ついついラストへの文句が多くなってしまったが、それも中盤までの、穏やかで淡々とした展開の中に、っくり静かに怒りや憎悪の種が蒔かれていく感じがよかったからこそで、普通に良作だとは思う。

オダギリジョーは元々監督志望だったというだけあって、役者の人が撮った余技とはとても思えないくらいの雰囲気があった。散々書いておいてなんだけど、次もあるならまた観るだろう。