ある船頭の話
オダギリ・ジョー監督 2019 日本 ☆☆☆
先日観た「宵闇真珠」がよかったのでノリで観賞。宵闇真珠で監督をしていたクリストファー・ドイルが撮影の合間主演のオダジョーに向かって「ジョーは映画を撮らないのか?撮るなら協力する」と言って本作は始まったという。ロケ地は主に新潟だったらしいけど、ドイルのカメラによって山間の何でもない岩場や川辺とそこを日々往復する孤独な船頭の姿、ゴツゴツとした岩場がとんでもなく魅力的に撮られている。ついでに衣裳はワダエミさん。
クリストファー・ドイルと言えばアジアっぽい、都会の雑然とした部分を魅力的に撮るというイメージだったけど、水面に反射する光や風にざわめく山間の木々といった自然の光も見事に彼らしく収めていた。いつも思うけど、何が違うんだろう。キラキラしているんだけどシックな落ち着きもある。監督や脚本との相性もあるんだろうけど、ドイルが撮ればいつでもこの感じになっているとも、間違いなく言える。不思議だ。
以下ネタバレ在り
で、肝心の本作脚本については、(オダジョーの役者ネットワークがフルに感じられる)豪華な出演陣に比して残念ながらやや低調。孤独な老船頭と新しく建造されつつある橋の対比を軸に、結構な長尺で色々と思わせぶりなフリをきかせている序~中盤まではドイルの画の力もあって非常に期待できたものの、それを拾っていく後半の展開はステレオタイプでよくある理におちたもので、それだけならまだしも、小屋を燃やして少女と共に逃避行にでるラストは最悪だと自分は思ってしまった。
このミニマルで閉じた世界の中で、孤独な船頭の姿、その達観も業も丁寧に描いて振りにふっているだけに、それがどんなものであっても、最後は船頭が終わりゆく自分の世界、置き去りにされつつある時代=自分自身に対してきっちり落とし前をつける所がみたかった。それがまさかあんなありがちな展開から、二人で逃げ出すように船を漕いでいく、あんな曖昧且つ消極的な場面でエンドロールなんて。
脚本の意としては、結局時代の変わり目なんてあんな感じでコソコソと、逃げ出すように変わっていくもんだという現実志向をこの寓話の最後に据える事で物語世界のバランスをとろうとしたのかもしれないけど、だとしたら端的に失敗だと思う。あんなちんけなリアリズムに最後もっていかれるくらいならもっと別方向に突き抜けて欲しかったし、ドイルのカメラに柄本明ならそれが出来た。いや出来たどころか、むしろ相応しいだろう。中盤から終盤にかけて、いつ船頭のそれが爆発するのだろうかとずっと期待していたし(無論必ずしも暴力や殺戮にいってほしかったわけでもない)、むしろそれっぽいフリも劇中には沢山あったからこそ、この肩すかしにはがっかりだった。
と、ついついラストへの文句が多くなってしまったが、それも中盤までの、穏やかで淡々とした展開の中に、っくり静かに怒りや憎悪の種が蒔かれていく感じがよかったからこそで、普通に良作だとは思う。
オダギリジョーは元々監督志望だったというだけあって、役者の人が撮った余技とはとても思えないくらいの雰囲気があった。散々書いておいてなんだけど、次もあるならまた観るだろう。