牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件

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エドワード・ヤン監督 1991 台湾 ☆☆☆☆

以下ネタバレ有り

実際にあった台湾初の未成年による殺人事件がモチーフ。ヤン監督は以前観た「台北ストーリー」がとても良く、本作もずっと観よう観ようと思っていたが何せ4時間!というランタイムに尻込みしていた。流石に二日に分けました。

1960年代初頭の台北。中学生のシャオスー(小四)は保健室で偶然出会ったシャオミン(小明)という少女と出会い、惹かれていく。しかし不安定な時代や社会の揺らぎはじわじわと小四の家族や周辺環境を揺さぶり、最初はいくつかの小さなすれ違いだったものも段々一つの大きなうねりとなって、やがて小四を追い詰めていく。

物静かなで繊細な思春期の少年の瑞々しい恋心、青春と、一方で裏側に広がる戸惑いや劣等感、そしてすぐそばにある暴力を並行して描きながら、やがて主人公がその純真さゆえに行き場を失い追い詰められていく様が克明に描かれる。この構図は岩井俊二リリィ・シュシュと(ランタイムの長さも含めて)よく似ているが、本作はあれほど、露悪的といっていいほどに劇的且つ惨たらしい思春期の描き方はしておらず、終始抑制の効いたあくまでも上品なトーン。また、ほぼ子供達だけの世界だったリリィと違って、周辺社会の状況もたっぷり時間を割いて描いている本作の方が、中盤以降のやるせなさはよりひどい。

周囲の環境も友達も急速に変化していくなかで一人取り残されていく主人公の焦燥、切実さがよりリアルなものとして、ヒシヒシと伝わってくる。

ブラスバンドの練習が遠くで鳴っている放課後の保健室。風がカーテンを静かに膨らませる中で、見つめ合う少年と少女。そして二人が立ち去った後の、もう誰もいない室内。全ての景色が来たるべき破滅の予感を孕むが故により透明感を増しているのは、何とも皮肉な事である。

ただあえて言えば、あれだけ丁寧に時間を掛けて描いていた周辺の状況や人々が、後半主人公の心に影を落とし影響していく様が、あまりスムーズに描けていないような気はしてしまった。監督は明らかに当時の台湾の全ての状況、時代や政治も含めた全てがあの殺人へと彼を導いていったのだという事を意図して、これだけのランタイムをかけていわば「そこに至るまで」を丁寧に描いているが、見終えた後思うのは、自分には彼はやっぱりもっと普遍的な、何だろう、あえていえば「少年の事情」みたいな原理に、結局動かされているように感じた。

つまり、本作の舞台を例えば現代日本や、昔日のアメリカ、その他の地域や時代に移したとしても、結構成立してしまうような気がしてしまうのだ。それとついでに主人公の後半の変化が結構急に感じるのも相まって、これだけ丁寧に繊細にそれまでを積み上げている作品だけに、その辺りの変化や移行が少し雑に見えてしまったことは残念。その辺りがもっと滑らかであれば、個人的にはよりベストな作品になっていただろう。

 

画面は終始美しい。特にベージュや土色が多い中で緑が映えている場面や、それらと対をなす、夜の暗闇が質量を持っているかのような場面は素晴らしい。そしてその上でエドワード・ヤンの映像はいつもギリギリでファンタジーまで行ききってしまわない、生活感というか、地に足の着いた所でとどまっているもので、その辺のバランスの絶妙さがまたこの監督の凄いところ。映像は綺麗だが、「綺麗事」まではいかない感じの素晴らしさ。

噂に違わぬ傑作。特にハル・ハートリーカウリスマキ作品が好きな人には絶対にお勧めだが、ただ後味は重い。