シン・エヴァンゲリオン劇場版

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庵野秀明監督 2021 日本 ☆☆☆☆☆

以下ネタバレ有り

結局前作のQから 10年?近く待たされたシンエヴァをようやく鑑賞。噂には聞いていたが、本当に終わった。感無量。

不満も勿論あるけれども、それ以上に庵野秀明の覚悟と決意を全編に感じて、うたれてしまった。それは新劇版のみならず、最初のTV版、旧劇場版まで含め、この物語に取り込まれ、取り込み、何やかやありつつずっと心のどこかにエヴァを置いたまま生きてきた全てのチルドレンを、今度こそ「青い海」へと連れて行くぞ!という強い意志だ。

抽象的に過ぎたオリジナルTVシリーズの終盤は人気作となったからこそ多くの批判を受けた。また監督もぎりぎりの製作環境の中でやり残した部分も多分にあったのだろう、その後の旧劇場版二作はTVシリーズ全般に対する補足補完と、特に最後の二話を再構成し物語を閉じるものとなる筈だった。しかし蓋を開けてみれば結果的にまたしても非常に詩的な内容となった旧劇は、エヴァンゲリオンという物語の終結どころか、むしろ閉じた宇宙での連環を促進しつつ空中分解していくようなものであった。ただその閉塞的且つ個人的な終劇はむしろエヴァに相応しいものだと当時自分は思ったし、巨大な綾波が破滅=新生の大天使と化して地球全体を再構築していく様は禍々しくも美しく、何より結局補完による液状化を拒否し、個別の存在に戻っていく事を選んだら選んだでアスカに「気持ち悪い」と言われてしまうシンジ君の絶望まで含めて、そうやって人は生きるしかないのだという事を綺麗事や常套句なしで徹底的に描いた、とても好きな作品だ。

ただ、その閉塞した終わり方ゆえに旧世紀版は一群の巨大な詩となり、そして、詩であるが故にエヴァは終われなかった(物語には終わりがあるが、詩には終わりはない)。

それから十年。新劇場版としてもう一度新しい連環が描かれると発表された時の庵野秀明による印象的な所信表明には、すでに今回のシン・エヴァにまでつながる強い意志が見て取れる。あれを読むと、旧エヴァが多くの人の心の中で終わることを許されない存在と化してしまったのは原作者である監督の中でも同じだったのだろう。だからこそ十年の時を経て、エヴァシリーズは再起動される必要があった。

もう一度エヴァに乗る決意。今度こそ全てにカタをつけ、終わらせるために。

かつて自らが生み出したエヴァというインパクトの落とし前をつけようとする監督の姿は旧世紀版以上に、プラグの中でもがき続けるシンジ君と重なって見えた。

 

今回もネット上には色んな考察や推測が溢れていてそれはそれで魅力的だが、僕自身はもうさほど関心を持っていない。この最後のエヴァンゲリオンに込められた細やかなファンサービス、感謝、そして勇気をもって新しく踏み出そうという決別への意志は作品の至る所から十全に伝わったし、自分にはそれで充分だと感じるからだ。

長い旅路の果てに辿り着いた、エヴァのない世界。強靱な意志をもって閉じた連環の外に飛び出した先に彼らが見出したものは、監督の故郷でもある山口県宇部市の、どちらかというとうらぶれた感じのある、現実の駅前の景色だった。あの実写の景色をあんまり綺麗に撮ってないのがまた非常に良かった。

最初のTVシリーズ放映時、僕は中学生で、ビデオ一本に二話ずつしか入ってないのせこいなあと思いながらせっせと地元のツタヤに通っていた。あれから25年。シンジもアスカもレイも皆ようやくエヴァを降り、年をとって、行ってしまった。エヴァという作品に自分が期待していた所としてはちょっと綺麗に完結しすぎではないかとの思いも鑑賞直後はよぎったが、時間が経つにつれ、やっぱりあれで良かったのだと思う。

決断には責任が伴う。

選ばれなかった全ての可能性への暖かい目配せを忘れる事なく、しかしこれしかないという唯一の終わりを選びきった見事な幕引きだった。

全ての子供達へ。特に旧世紀の、かつての子供達へ。今度こそ本当におめでとう。

そしてありがとう、すべてのエヴァンゲリオン