悪党に粛正を

悪党に粛清を | 映画の動画・DVD - TSUTAYA/ツタヤ

クリスチャン・レヴリング監督 デンマーク 2014 ☆☆☆☆

デンマーク製の激シブ西部劇。

1871年アメリカ。デンマークからの移民ジョンはやっと新天地アメリカでの生活に目星を付け、故郷から妻子を呼び寄せる。しかし再会の喜びも束の間、駅馬車の中で乗り合わせたムショ帰りのならず者たちに目を付けられ呆気なく妻子を殺されてしまう。思わずその場で奴らを撃ち殺したジョンだったが運の悪いことに、殺した内の一人は地域を牛耳る大悪党の弟だった。

主人公のジョンはじめ、その相棒たるジョンの兄貴、また敵方の親分と彼に囲われている舌を抜かれた沈黙の姫君まで、出てくる人物がとにかくクールで格好良く、それぞれの美学のもとに生を全うしていて素晴らしい。完全に悪党の軍門に下っている日和見の町長や保安官などの脇役もベタに良い味を出している。

中でも正真正銘の悪党でありながら、どこかやけっぱちであり、自分の死に場所を探しているかのような敵の親分に相応の悪の魅力がちゃんと宿っている。この手の話は主人公以上に相手方の魅力が大事だと思う。

シンプルに良すぎて逆に書くことない。面白かった。

サーミの血

サーミの血 -1- Sameblod : 殿様の試写室

アマンダ・シェーネル監督 スウェーデン 2016 ☆☆☆☆

随分前だけど渋谷のアップリンクで広告を見かけて気になっていた作品。観る前は民族的な差別をテーマに据えた社会派かと勝手に思っていたが、いざ観てみるとどちらかというと最終的には主人公個人の生き方にフォーカスしていくような作り。あと最初に一番書いておきたいこと、サーミの民俗衣装、可愛すぎ。

現代のスウェーデン。長年教師をしていた老女クリスティーヌのもとに、随分会っていない妹の訃報と葬式の知らせが届く。気乗りしない彼女だったが息子に連れられる形で、久し振りに遠い故郷へと赴く。ホテルの窓から外を眺めながら、少数民族であるサーミとして生まれながらやがて故郷を捨てた過去を回想する。

マイノリティへの差別なんて世界中どこでもいつでもあるものだとは思いつつ、スウェーデンみたいな長閑なイメージの国でもやはりあるとは、全然知らなかった。日本でいうと例えばアイヌの人々が今も昔ながらの様式で暮らしていて、それが差別されているようなものだろうか。

スウェーデン社会におけるサーミへの差別や、昔ながらの伝統的な暮らしを継いでいく以外にほぼ選択肢が与えられない運命の過酷さ。1930年代、教師たる者すら平然と「サーミの人達は脳の構造が違うから文明社会には適応できないのよ」などと言い放つ社会状況下で、テントと放牧の生活から抜け出したいと願う主人公の孤独な闘いが、スウェーデンの美しい自然を背景に丁寧に描写される。

ただ冒頭にも書いたとおり、本作はそういった社会背景を重要なテーマとして包含しつつ、作品の本筋としては「自分の願う生き方のために家族や故郷を捨てざるを得なかった人の物語」という色合いが強く、仮にスウェーデン社会や民族差別に興味を持つことができなくとも、広く共感できるような物語になっている。この辺りは賛否が別れるところかもしれないが、ただ製作陣が本作を道徳的人権的に「立派」なだけの映画にしたくなかったのであろうことに、自分はとても共感した。

そしてだからこそ、主人公が必死の思いで故郷から飛び出した先に広がっていた一般社会が決して楽園ではなかったことも本作ではしっかり描かれている。特に中盤、故郷の川で妹と水遊びして遊んだ記憶のシーンなんかは夢の様に美しく、だからこそ殺伐とした都市に生きる後年の主人公の荒涼とした感じが浮き彫りになるのがまた本作のニクいところである。

予め与えられた運命に疑問を抱き、色んなことを犠牲にしながら脱出する事を選んだ姉と、用意された運命を受け入れ、昔ながらの民族的生活を全うした妹。どちらが幸せだったのだろう。良作。

静かなる叫び

映画静かなる叫びは視点がバラバラ!ネタバレと感想ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督 2009 カナダ ☆☆☆☆

1989年、モントリオール理工科大学で起きた銃乱射事件を基に多少の脚色も加え、映画化したもの。これは前から気になっていたのだけど、つい先日見た「アマンダと僕」が銃乱射テロによるものだったこともあって、気持ちが向いた。

映画は惨劇の舞台となる理工科大学を中心に、そこに通うエンジニア希望の女子学生ヴァレリー、彼女の友達でひげ面のいい男ジャン、そして犯人という三人を交互に描写しながら、事件当日および彼らのその後を描く。

全編モノクロで撮られ淡々とした静かで冷たい印象の画面。雪の冷たさまで伝わってくるような清潔で美しい画面が、鋭利で引き裂くような緊張感を伝えてくる。学校での銃乱射事件を似たテイストで扱った映画としてはガスヴァンサントの「エレファント」が想起されるが、本作はより冷たく、ドライな手触りが顕著。元気な学生達で賑やかな大学構内という日常空間に突如、犯人=獣のような孤独と静けさが侵入し急速に場を浸食・支配していくような雰囲気により満ちているのが恐ろしい。特に、犯人の最初の銃撃。その音と衝撃の一瞬ひとつでガラッと空間を支配する。映画を見ているこちら側の空気まで一変するような、恐ろしい獣の一声。

だけどこの作品の誠実なところは決して犯人を単なる狂人として描写しているわけではなく(どれだけ実際の犯人像を再現しているのかはしらないが、それはさして重要ではない)、彼が自身の痛みや孤独を一人で抱えきる事ができず、葛藤をへてついに修羅となってしまう様子をきっちりと描写している点で、そしてこれこそが本作の一番恐ろしいところでもある。

彼の境遇や事件に至る動機が劇中で詳細に描かれるわけではない。しかしだからこそ自分は、彼に共感するところがある。痛みと孤独の中で自分自身を呪い、とは言え自殺する事もできず、どんどん煮詰まるその圧力がやがて自分自身の輪郭を超えて溢れ出したとき、人は誰でも修羅となりうる。しかもそこに銃という余りに手軽で強力な装置が転がっているという環境が重なればなおさらだ。だから彼が撃ち殺していったのは、他人というより投影された自身の痛みだったのかもしれない。そしてこの手の事件を考える時、犯人と自分との間に違いがあるとすれば、それはもうとどのつまり運でしかないのではないかと自分なんかは毎回思う。

最初の発砲に居合わせ辛くも生き残るものの、深いトラウマと化した事件にその後も囚われる続けるヴァレリーにも、心根が優しくすぐ逃げ出す事を選ばなかったばかりに生き残った事の罪悪感に耐えられなくなったジャンにも、そして犯人の男にも、全員に等しく自分を見出すという非常にしんどい鑑賞だった。

この手の事件は度々世界中であるし、日本でも銃こそ使用されないものの繁華街で通り魔なんか定期的に発生する。その度に思うが、自分はいつも怒る事が出来ない。犯人は明らかだし、その罪も明白だ。しかし一体犯人達は、何故獣と化すまで追い詰められたたのだろう。そしてそれらを見聞きして自分が感じる気持ちも、虚しさなのか悲しみなのかよく分からない。ただ本作の背景に頻出する窓の外で音もなく降る雪とか、例えばそんなようなものが、どんな言葉よりもまっすぐその感覚に通じていくような気がしている。

覚悟は必要だが、観るべき傑作。

ナイチンゲール

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ジェニファー・ケント監督 オーストラリア 2018 ☆☆☆☆

あんまり縁が無いオーストラリア映画。予告編が面白そうだったので観たが想像以上だった。主演のアイスリング・フランシオンという方、綺麗だった。

19世紀の豪州では、イギリス人の兵隊が原住民である黒人アボリジニ達を無理矢理追い払っている〝ブラック・ウォー〟の真っ最中。女囚としてイギリス本国からその兵営に送られ将校に囲われている主人公クレアはある時、最悪サイコパス将校ホーキンスとその仲間によって、自身はレイプされた上、夫と赤ん坊は無惨に殺されてしまう。一夜明け意識を取り戻したクレアは北の町へ向かったという一味に復讐を遂げるべく、地勢に詳しいアボリジニのビリーをガイドとして雇い、追跡の旅を開始する。

アボリジニを迫害しているイギリス人という大前提以外にも、アイルランド人はイングランド人を軽蔑していて一緒くたにされる事を嫌っている事や、アボリジニの中にも色んな部族があり色々あるといった歴史背景もちらちらと出てくるが、本筋はあくまでも普遍的な復讐物語、あるいは人種や立場を超えて結ばれる友情であり、社会派とエンタメの成分が丁度良いバランスで仕上がっていると思う。

主人公であるクレアにしても単なる被害者として描写されるだけでなく、最初はアボリジニであるビリーの事を「ボーイ」と呼んで見下しており、またビリーもクレアを「また白人が厄介事を持ち込んできた」程度にしか思っておらず、そんな2人が共に旅を続けるうちにお互いの境遇や事情に触れ、どんどんと打ち解けて本当の友人になっていく様はベタながら、物語の流れと共に丁寧に描写されていて素直に感情移入できた。本作においてこの二人の関係性の描写て本筋である復讐譚の成り行き以上に大事だと思っていて、ここが適当だと全体が一気に陳腐になるところ、本作はぬかりなかった。

ただ反面、クライマックスの展開はやや斜め上でもっとストレートにいって欲しかったという思いもなくはないが、そこに至るまでに丁寧に積み上げてきた二人の関係性が非常にいきるものでもあり、やっぱりあれはあれで素晴らしかった。

決して後味のいい映画ではないけれども、当時のハードな背景をきっちり描いた上で、それを信頼で乗り越えていく主人公達の旅をとても魅力的に描いている。また大筋以外の細かい箇所も配慮や目配せが行き届いた傑作。生ぬるい希望を捨て、誇りをもって立ち向かった者達に敬意を送りたい。それがどんなに、震える手脚でなされたものであっても。

 

ハーフ・オブ・イット:面白いのはこれから

ハーフ・オブ・イット 面白いのはこれから : 作品情報 - 映画.com

アリス・ウー監督 2020 アメリカ ☆☆☆☆

話題になっていたネットフリックス製作の配信映画。メールの代筆から始まる少年少女の三角関係を軸にした普遍的な青春譚の形式を取りながら、現代を象徴する様々な社会問題が巧みに織り込まれている。

アメリカのどこにでもある田舎町。中国系で聡明なエリーはクラスメートの宿題代行などして小銭を稼いでいる。ある時、アメフト部の真っ直ぐ単細胞野郎ポールから、ラブメールの代筆を頼まれる。相手は学園のクイーンビー軍団の一人であり、またレズビアンであるエリーが秘かに憧れていたアスターであった。最初は断るエリーだったが、家庭の電気代支払いのため一度だけという条件付きで承諾する。

映画冒頭、主人公であるエリー自身によるモノローグが入る。”これは恋愛ものでも、何かが成功する話でもない”。その宣言通り、本作では立場も性質も全く違う三人が出会い、時間を過ごして、そして結局はそれぞれ違う道へと旅立っていく。ただその過程において、お互いの差異を認めた上で理解、信頼し合っていく様が非常に丁寧に描かれている。

エリーは非常に頭が良いものの、優秀で学歴もあるが英語力が足りないために望んだ職につけず家でくさっている父親の影響もあり、自分がこの閉塞的な環境から抜け出す事をどうしても想像できない。だけど、単純バカで映画も文学もまるで知らない自分の苦手人種筆頭であったポールとなりゆきで関わる内に、その裏表のない真っ直ぐさや、母親を悲しませたくないのでこの町で家業のソーセージ屋を継ぐしか無いが、それでもオリジナルレシピは開発したいといった彼なりの運命との葛藤を知っていく。

また誰もが振り返る容姿を持ち学園のスターであるかのように見えるアスターも、実はヴィム・ヴェンダースや文学を好むような内省的なところがあるが、周囲にその辺りの事を共有できる理解者はおらず孤独を感じている。だからこそ、ポール(のふりをしたエリー)が書いてきたラブレターを初めて呼んだとき理解者が現れたと喜ぶ。

一見自分とは遠い人々だと思っていた二人もまたそれぞれの事情や葛藤を抱えていて、彼らもまた彼らなりの迷いの中にいるのだと知ったとき、頑なだったエリーの心もほぐれていく。

先入観や偏見を超えて対話を開始することで見えてくる相互理解の可能性と、そしてそうした理解の先にこそ、自身の変化の可能性も大きく含まれているのかもしれない。こんな今更言葉にすると陳腐なテーマをしかし衒うことなく、シビアな現実も含めまっすぐ誠実に語りかけてくれる良い映画だった。傑作。

エリーと父親の場面や、アスターとの手紙のやり取り部にはヴェンダースの映画やカズオ・イシグロの小説など、文学的な引用も所々に散りばめられていてそれも楽しい。

アマンダと僕

映画『アマンダと僕』公式サイト

ミハエル・ハース監督 フランス 2018 ☆☆☆

粗筋は何となく知っていたがテロがらみの作品だとは思っていなかったので、思った以上に社会派な鑑賞となった。ところで忘れないうちに最初に書いておくが、ヒロイン・レナ役を演じているステイシー・マーティンという女優さん、恐ろしいほどのフランス美女で登場した時眩暈がした。彼女を見ているだけでAPCとかアニエスが着たくなってくる。

パリで不動産関係の仕事をしながら気楽に生きている若者ダヴィッドは、シングルマザーである姉とその幼い娘アマンダと仲が良く、毎日のように互いの家を行き来している。仕事を介して出会ったレナという恋人もできて楽しい生活を送っていたが、あるとき白昼の公園で起きた無差別テロに巻き込まれ、姉は死亡、ピアノ教師であるレナは利き腕に重傷を負ってしまう。失意の中、残されたアマンダとダヴィッドの共同生活が始まる。

以下ネタバレがあります

観る前はてっきり姉は事故かなんかで死ぬ、普遍的な喪失についてのお話かと思っていたが、テロだった。フランスは近年クラブで乱射事件が起きたり、祭の人混みにトラックが突っ込んだりしているが、つまりこの映画はそういうところも引き受けて作られているという事で、見方が変わった。

ただその上でその後の展開がやや気になった。やり場のない悲しみと絶望感に包まれた二人がお互いに不器用に歩み寄りながらやがて新しい家族となっていく姿こそ丁寧に描写されているものの、テロに対する憎しみや怒りの成分は少ない。だけどテロを題材に選ぶのであれば、それが天災や偶然の事故によってではない、誰かが誰かを傷つけてやろうという明確な意志であるという事に対し、作中にて何等かの形でもっと言及してほしかった。そうそこに特に返答をしないのであれば、姉の死因は病気とか事故でもよかったように思ってしまう。

ついでに言うなら逆境を跳ね返すテニス選手の活躍によってアマンダが笑顔を取り戻すというラストもやや陳腐だと感じた。自分が脚本家ならあそこでテニス選手はやっぱり負けてしまう。でもそこでダヴィッドが何かをする、そういうラストにしただろう。もっともその「何か」が難しいのは、それは分かるけれども。

あくまでも淡々とした日常生活のレベルから逸脱することなく、恐ろしい事件と、それにより損なわれてしまった者達のその後を丁寧に描く事には成功している。ただ上記したとおり扱っている事柄に関して終始上品過ぎる&ラストもステレオタイプなきれい事の範囲を良くも悪くも逸脱しておらず、物足りなさが自分にはあった。ただこのセンシティブなテーマにあくまでも一般的な生活者の目線で真正面から挑んでいる、良質な作品であったことは間違いない。

 

天国でまた会おう

ネタバレ&感想!映画『天国でまた会おう』はルメートル原作の感動ドラマ! | ソレガシのシネマ鑑評巻

アルベール・デュポンテル監督 フランス 2017 ☆☆☆☆

本作は自分がどこで知ったのかも覚えていないが気付いたら映画リストに入っており、あまり期待もしていなかったが、べらぼうによくできていて非常に面白かった。

第一次大戦従軍中に知り合ったアルベールとエドゥアールの二人は大けがを負って復員後、驚くほど自分たちを冷遇する社会に嫌気が差し、エドゥアールの絵の才能を活かした詐欺を仕掛け大金を稼ぐ事に成功する。ホテルのスイートで豪遊しながら明日はモロッコに逃げようという前日、二人それぞれに蓋をしていた過去の因縁が迫ってくる。

コミカルタッチなフランス映画に多いあの独特のノリ(アメリとかでお馴染みのあの感じ)でテンポ良くサクサク進む本作だが、国のため命を賭して闘ったのにも関わらず報われない主人公二人をはじめとして、登場人物それぞれの事情や背景が、ポップで軽快なノリの中にもしっかりとした重量感でぬかりなく描写されている事がまず素晴らしい。特に、主人公の片割れエドゥアール。戦争で下あごと声を失ったにも事の失意から仮面をつけて甦るとともに社会をあざ笑う怪人と化してしまう彼だが、本作はそんな彼が如何にして人間を取り戻すのかを描いた話でもある。切ないダークヒーローとして、彼の物語は本作の背骨であり白眉だろう。

フランス映画丸出しの美術面も豪華で、どの場面も素晴らしい。特に、手先が器用で絵や工作が得意なエドゥアールが場面ごとに着けている色んな仮面は本作の花形。うまく言葉が話せない彼と唯一円滑に意思疎通できる孤児の少女ルイーズが常に通訳の様に傍にいる妖しい雰囲気も相まって、毎場面楽しみだった。(ルイーズも衣裳込みでめちゃ可愛い)。

フランス映画一流のこのデザイン感覚、雰囲気って、未だになかなか他国製の映画では味わえないと思う。

語り口は軽快且つポップでありながら鋭い戦争・社会風刺の棘を失わず、また奥深い家族ドラマでもあるという一見ぶれぶれになりそうな各種の要素をきっちり入れ込みながら、全体としては一つの物語としてきっちりまとめている良質な脚本。さらにそれを仏国ならではの美術センスと演出でしっかり味付けしている作品で、大傑作。

フランス映画に苦手意識を持っている人や、何となく英語圏以外の作品を観たい人にも推したい。