希望のかなた

『希望のかなた』(C)SPUTNIK OY, 2017アキ・カウリスマキ監督 フィンランド 2017 ☆☆☆☆

のんびりした独特のリズムと固定カメラ視点が生み出すユーモアと情感が大好きな監督だけど、最近の作品で彼がテーマにしているのは難民との事で、正直敬遠していた。しかしいざ見てみると、やっぱりアキはあくまでもアキのまま、しっかりと真正面から難民、人間と向き合っていた。なにより単純にいつもどおりに面白くて安心した。いやーこんな繊細なテーマを真正面から扱いながら全体としてはいつもどおりのアキ・カウリスマキってすごい。ちょっとなめてたごめんなさい。

シリアのアレッポで修理工をしていたカーリドは空爆で家族を失い、紆余曲折をへてヘルシンキに辿り着くが、その過程で唯一の生き残りである妹とはぐれてしまっていた。一刻も早く妹の捜索をしたいが、難民としての自身の足場もなかなかままならない。一方、仕事にも妻にも嫌気が差し、半ば自棄になりながら挑んだ闇ポーカーで大金を手にした老人ヴィクストロムはその金で小さなレストランを買取り、三人の従業員とともに傾きかけている店をなんとか軌道に乗せようと悪戦苦闘を始める。

ある時、店のゴミ捨て場で寝ているカーリドと出会ったヴィクストロムは事情を聞き、彼を雇い入れることにする。

二人の主人公ヴィクストロムとカーリド。妻と仕事、それまでの人生に嫌気が差し家を出て突如レストランオーナーとなるヴィクストロムの物語はいつものカウリスマキ節だが、もう一人のカーリドについては、難民申請時に語られる彼の過去は余りにも直接的且つ理不尽な死と暴力に満ちていて、重い。ここまで見ていた時点ではいくらなんでもこの重さをいつもの監督の節回しで回収できるのか不安だったが、実際、特に工夫もされていないのに驚くほど自然に収まっていて、みていて驚くばかりだった。

そう。あれほどの過去を抱えた難民の青年も、味付けというには存在感も尺も長すぎのブルース演奏も、思いつきでの寿司レストラン転向も、革ジャンのネオナチ以外は皆カリードに都合良く理由無くいいひとなことも、総てが最終的にはいつもの監督の節に自然に収まっていく。あんなに出会う人がたまたま良い奴ばかりなんて、普通の映画だったらご都合主義がくさすぎてたまらないところだろうに、なぜかカウリスマキ映画だとスルリといけてしまう。そもそもこの監督の映画では人間達は揃いも揃ってみな口数も表情も乏しく、喜びも悲嘆も皆静かに淡々と受け止めるばかりである。なのになぜあんなにもマネキンにならないんだろう。ついでに撮り方も固定カメラが多いので絵面も「お芝居」っぽく見えやすい作風だとおもう。なのに人物がみんな書き割りでない、ちゃんとそれぞれの人生を生きている血の通った人間に見える。本当に何度見ても謎である。

傷ついた者たちがまさにその傷跡によって、なお他者に寛容であろうとする。そんなおとぎ話などとても信じられない、、、というかつて傷ついた者達。そんな人達こそ全員アキ・カウリスマキの映画を観るべきだろう。